サッカーJ1の川崎フロンターレは、後援会の会員がこの8月に5万人を超えた。会員数だけがファン数を示すものではもちろんないが、観客席が閑散としていた時代のあったフロンターレにとって、地道な地域密着の取り組みでファンを増やしてきた中で、一つの節目でもある。
2006年に1万2000人ほどだった会員数は、ホームタウンとする川崎市や近隣市区の住民を中心としながら、中には北海道稚内市から沖縄県石垣市まで幅広く増やしてきた。もっとも、川崎市の人口約150万人からすれば、数字はまだまだ伸びしろがあるところだろう。
そのクラブに、ひと味ちがった形でフロンターレと出合い、ファンになった人たちがいる。人口約500人。福島県南会津郡檜枝岐村(ひのえまたむら)の人たちだ。福島、新潟、群馬、栃木の4県にまたがる尾瀬国立公園の玄関口として知られ、有数の豪雪地でもある。
猛暑続きの今夏からはまだ想像がつかないが、山間部から訪れる秋を経てやがて冬になると雪が降り、積雪は5月まで毎年7カ月近くも残るという。良質なパウダースノーのスキー場もあるそうで、かつてはアルペンスキーが盛んだったそうだ。
昨今は子どもたちの関心も多様化し、ウインタースポーツだけに限らなくなっている。一方で、村の小中学生約40人にとってはサッカーであれバドミントンであれソフトボールであれ、関心のあるスポーツがあっても、プロスポーツというハイレベルなものに触れる機会は、そうはなかったりする。
その地域から小中学生らがこの夏、バスで片道5時間をかけてフロンターレの試合観戦に訪れた。川崎市の等々力陸上競技場で行われた8月12日のヴィッセル神戸戦。早朝に出発して昼過ぎに着いた一行は、2万人以上の観客収容がある競技場を見学したり、クラブスタッフのアテンドで、この試合のメンバーに入らなかった若手選手らとキックオフ前の時間を使って交流した。DF松長根悠仁選手やMF名願斗哉選手とハイタッチをしたり、一緒に記念撮影をした。通りがかったGK早坂勇希選手も交じった。
子どもたちは、試合に出る選手たちがウオーミングアップをする姿も見学した。フロンターレのことを「以前はサッカーが強いチームくらいだな、くらいにしか知らなかった」と率直に明かしながら、最近は選手やチームの関連動画を探して視聴する子もいるそうで、「かっこいい」「応援していきたい」と、いくつもの笑顔があった。
その彼らがどんな経緯でフロンターレと出合ったのか。村の教育委員会の平野暁史さんは「本物に触れる機会が少ない子どもたちに、本物を見せてあげたいと思っていた。だれかを応援することによって得られる力も大事だと思う。
実際に見て、何かを感じてもらえれば」と願っていたという。少子高齢化の流れはここも例外でなく、村の人口自体が減りつつある中で小さなコミュニティーだけでは、子どもたちの視野も、とかく小さくなりがち。だからこそ村の将来を担う小中学生に「人間的に大きくなってほしい」と思っていたという。
その村とフロンターレをつないだ人がいた。フロンターレを日頃応援する立場として、オフィシャルパートナーとしてクラブに協賛する株式会社サン(川崎市)の工藤和弘さんと、そのグループ会社の一つで、雄大な尾瀬ケ原を一望できる山小屋「尾瀬小屋」(檜枝岐村)の工藤友弘さんの兄弟だ。
今年1月、友弘さんが土産にしたフロンタ-レのグッズを村の子どもたちに渡すと、「こんなのをもらったよ」と広まり、取り合いをするほどに喜ばれた。当時からフロンターレが村で有名だったかといえばそうではなく、知っている選手を聞いたところ、昨年の男子ワールドカップカタール大会で日本の16強入りに貢献した元フロンターレの三笘薫選手(イングランドプレミアリーグ・ブライトン)の名前が挙がったくらいだったそうだ。
「選手を目指す、目指さないとかではなく、小さな村の中からも夢の幅を広げるチャンスをつくれないかと思った。架け橋になることができるのではと思った」と友弘さん。試合会場にキッチンカーなどで飲食の提供などを展開するサンの和弘さんも「私たちの会社は人と人のつながりを大切にやってきた。だれかを応援したり、そういう体験をさせてあげたい」。
今春にはフロンターレのことを紹介する会を開き、地域密着を大切にしてきたクラブの歴史を紹介した。フロンターレの協力で選手グッズも贈った。主将の橘田健人選手らが語りかけてくれたビデオメッセージも上映。そして、子どもたちには実際に試合を見てもらおうと、観戦チケット代はサンが会社として補助した。たくさんの希望者の中から35人ほどがツアーに参加することになった。
2017年にクラブ初のJ1初制覇を経て、数々のタイトルをとるまでに成長したフロンターレ。今季は中位からなかなか浮上できず、8月の神戸との一戦も0-1で敗れ、子どもたちの目の前で勝利を見せられなかった。それでも村の子どもたちにとっては、今やあこがれの存在だ。和弘さんは「次は選手を檜枝岐村に呼びたいですね。選手たちにも、こういうところがあるんだと見てもらって。日程的なこともあるので、OBの選手でもいいですが」。小さな交流をさらに深めていければと願う。
Jリーグが1993年にスタートして30年。より魅力をつくるには、クラブ、チーム、選手の努力は不可欠だが、今回はクラブがパートナー企業と築いてきた関係が架け橋となり、パートナー主導でファンを広げていった新たな形でもある。交流が始まった村からはフロンターレ後援会への加入申し込みもあり、まず30人が入ったところ、その彼らが5万人という節目になったのだそうだ。
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