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心が疲れたときに読むサッカー

なでしこジャパン、ワールドカップの後はオリンピックへ/脈々と受け継がれるもの(上條憲也/東京新聞)

歓喜の訪れは、朝の7時ごろだったか。

 

2011年の女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝。紙面の準備のためテレビ観戦していたのは、日本時間で日付が変わって7月18日の未明から早朝にかけてのこと。「なでしこジャパン」がフランクフルトの地でアメリカに先行されながらも追いつき、2-2で終えた延長戦のあとはPK戦を3-1で制すると、以来、チームが帰国してからの取材が一気に慌ただしくなったものだった。

その1か月前には愛媛県松山市でW杯に向けた壮行試合の韓国戦があったのだが、雨の中、水たまりのピッチで先制したなでしこは、あっさり追いつかれてドロー。東日本大震災からまだ3か月で、大会に向けて選手がどんな思いでいるかという記事を壮行試合に絡めて書いたのを覚えているが、頂点に立つまでは想定していなかったころだった。

12年前に偉業を成し遂げたそのチームが今年9月、日本サッカー殿堂の掲額式典に招かれ、記念プレートが贈られた。澤穂希さん、丸山桂里奈さん、海堀あゆみさんらが華やかにステージに並ぶ。澤さんは「優勝するならこのチームだと思った。その一員であることを誇りに思う」。

ベスト4入りを目標に臨んで4位だった2008年の北京オリンピックを踏まえ、目標をさらに高く設定して勝ち取ったものだった。GK陣ではメンバーの山郷のぞみさん、福元美穂さん(今季も現役選手)という先輩選手にサポートされながら全6試合にフル出場した海堀さんが「未熟な私は後押しをもらってピッチに立たせてもらった」。女子サッカーに脈々と受け継がれてきた歴史が垣間見えたりした。

当時の監督だった佐々木則夫さんが現在は日本サッカー協会の女子委員会委員長を務めており、今年の夏にはインタビューする機会があった。ちなみに佐々木さんは、松山で自らが采配した試合については「ぐだぐだでした」と苦笑いする。

「あの雨でぼくは風邪をひいちゃって、向こうに行って点滴してました」。ただ、よく言えば、その雨でチームは地固まったということなのだろう。W杯での見事な采配、選手たちの活躍の連続は、ご存じの通り。欧州勢が今ほど技術的、組織的でなかった時代に、「高い位置でボールを奪って極的な攻撃につなげる守備」を徹底したチームをつくり、2012年のロンドンオリンピック、2015年のW杯カナダ大会でも決勝まで勝ち上がる。まさに黄金期だった。

 

やがて世界のサッカーはどんどんスピーディーになり、戦術も進化していったのは、今のサッカーをみれば一目瞭然。日本は世代交代を図りながら、4年前のW杯フランス大会は欧州勢の急成長を前に16強止まりだった。そこからどう復権する道筋を描くのか。

2023年7、8月にニュージーランドとオーストラリアで開催されたW杯でなでしこを率いて8強入りした池田太監督のサッカーは、選手たちの技術の高さも生かして3バックをベースに両サイドを絡めて攻撃的に出ながら、相手によっては5バックにして守り、カウンターというシーンも多く、臨機応変さを見せた。とはいえ、相手を警戒し過ぎるあまりに自分たちの良さまで消してしまった面もあって賛否両論だったが、微修正しながら次の舞台に向かうことになる。

そのステージというのが、オリンピックだ。男子は1992年のバルセロナオリンピックから年齢制限のあるチームが出場するのだが、女子は年齢制限がない。つまり、W杯に臨んだチームをブラッシュアップしながらオリンピックに向かうことになる。

過去世界選手権(現W杯)の上位が五輪に出てきた予選方式は、2004年アテネオリンピックから大陸別の予選となり、予選は予選としての準備が必要になる。ただ、これがなかなか難しい。2011年にW杯の頂点にたったなでしこは2か月もしないその年の9月、翌年のロンドンオリンピックの出場権が懸かるアジア最終予選に臨んだが、佐々木さんは「きつかった…。選手のコンディションがままならなくて」。

開催地の中国に向かう前は「なでしこフィーバー」で連日の大賑わいだった岡山県内での合宿があり、中国入りしたらしたで対戦相手の雰囲気が「鼻息荒く、優勝チームを食ってやろうという感じ」に見えたそうだ。

タイ、韓国、オーストラリア、北朝鮮、中国との総当たり戦。しかし、簡単に飲まれるようではいけない。監督が選手に伝えたのは「まともに受けるんじゃなく、こっちが逆に粉砕するくらいでやらないと」。

と同時に内心は「(出場権を)落としたら腑抜け。だれも許してくれない…」というプレッシャーがあったとか。辛くも勝利を重ねながら迎えた第4戦。勝てば出場権獲得の北朝鮮戦は終了間際に追いつかれたことでその場では決められず、他会場の結果で時間差の予選突破を決めたものだった。

同じく佐々木さんが率いて準優勝した2015年W杯カナダ大会のあとは、大苦戦だった。2016年リオデジャネイロオリンピックの出場権が懸かるアジア最終予選が2016年の2、3月に大阪で開催され、結論からいうと出場権を逃す事態となり、監督を退任することになった。

「初戦が大事だといつも言っていて、非常に緊張して良いゲームだったんだけど、先制されてあたふたして…」。初戦はオーストラリアに2点を先行され、1点を返すが結局1-3敗戦。これが尾を引く形で勢いが出なかった。

実はホームの歓声というのも、意外な重圧だったそうだ。こちらはロンドンのアジア予選、リオのアジア予選とも現地で取材し、その都度、一筋縄にはいかない難しさを書いてきたものだ。

 

さて、現在のなでしこジャパン。W杯を終え、今度は2024年パリオリンピックの出場を懸けたアジア予選が始まる。この秋、10月26日から始まる2次予選はC組に入り、ウズベキスタン会場でインド、ウズベキスタン、ベトナムを相手に来年の3次予選進出を争う。

なでしこの中心選手となった19歳の藤野あおば選手や24歳の植木理子選手ら多くのトップ選手たちが、2011年大会をテレビで見てあこがれたそうだ。日本代表は注目されやすく、子どもたちの夢となる存在。競技の普及に結果が大きく影響してきた。その誇りある選手たちは経験を脈々と受け継ぎながら、今度はオリンピックでどういう成果を出していくか。その可能性に期待したい。

 

上條憲也/東京新聞

 

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